小説を書く友人に憧れて

 

 

 

 

 

気づけば何か厚手のものを羽織らないと外出できなくなって、自販機のあったか~い缶のコーンスープがおいしい季節になった。

 

知り合いに会ったら一瞬困るくらいのどうでもいい服に特価で買ったアウターを着たあと、5周年を迎えたスニーカーで家を出る。

 

あてはないまま歩を進める。

 

思えば今朝のお天気お姉さんが「今日は前年と比べ暖かいでしょう」と言っていた気がする。

 

それなのになぜか、芯から、さむい。

 

冷たい風が吹く。

 

あの人は僕のスマホの中で笑っていた。

 

見たことない男と、見たことない笑顔で、屈託なく笑っていた。

 

スマホの画面はこんなにも小さいのに、僕からすればそこがたった一つの世界なんだ。

 

あなたがいればどんなところも世界になる。

 

そんな世界はもはや二次元になってしまって、手を伸ばしても届くことはない。

 

幻にいいねなんて押せるわけもなかったんだ。

 

なんでだろう。と声に出さずにつぶやいたら、温かい感触が左頬で一本の縦線を描いた。

 

今日があたたかいなんて、嘘だろう。

 

世界に取り残された僕は、空を仰いだ。

 

曇天。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜に酒を飲んでこんなものを書いてみたら後日どんな感情になるのか気になって書きました。

笑ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【読書感想】『嫌われる勇気』を読んで

こんにちは。

米津玄師さんのサブスク解禁がめちゃくちゃうれしかったねこうさです!

(ちなみに先日発売された『STRAY SHEEP』では『カナリヤ』という曲が好きです!)

大学の課題も落ち着き、自分自身も休めた気がするので今日からまたぼちぼち書いていこうと思います…!

今回はかなり前に話題になった岸見一郎さん、古賀史健さんの『嫌われる勇気』を読んだので、それについて考えたことや感じたことを文書にしていこうと思います。

従ってネタバレの可能性あり!!

…ねこうさの記事はネタバレしがちですね。

すみません。

アドラーの考え方をどうしても『嫌われる勇気』で知りたい!と思っている人はさようならです。

ではいきましょう!!

 

 

もくじ

 

 

そもそもあなたは「嫌われる勇気」を持っているか 

持っていない、と答える人がほとんどではないでしょうか。

なぜなら、人に嫌われてうれしいと思う人はいない気がするからです。

かくいう私も持ち合わせていません。

むしろ私は人からどう思われているか気になってしまいます。

できれば好かれたいです。

他にも、褒められたい、認められたいと思ったことがある人もいると思います。

しかし本書にはこうありました。

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。

『嫌われる勇気』は、心理学では超有名なアドラーの考え方を軸にして哲人と青年が対話をする形式で書かれています。

アドラーは他者からの承認を求めることを強く否定したのです。

他者の期待を満たすことは幸福にはつながらない。

他者から認められようとして生きることは自分の人生を生きていないことだと考えたそうです。

例えば、親の「○○を習いなさい」だとか「○○という学校に入りなさい」という言葉に素直に従っていたら自分のやりたいことはできませんよね。

そこで、他者にとらわれないように彼が提唱したのは「課題の分離」という考え方です。

 

 

「課題の分離」とは

 「これは誰の課題なのか」という問いを常に持ち続ける、ということです。

ユダヤ教の教えには、「10人いるとしたら1人はあなたのことが嫌いで、2人はあなたのことが好き。残りの7人は何とも思ってない」というものがあるそうです。

人から嫌われたり暴言を吐かれたりすることに対して、気持ちいいと思う人はいないと思います。

きっと、嫌な思いをして、人によっては思い詰めてしまうかもしれません。

しかし、アドラーの考えに基づけばそんな思いをする必要はさらさらありません。

なぜなら、人を嫌う行為は他者の課題だからです。

嫌うか嫌わないかはその人自身が決めることであり、その他の人間がどう言おうと無駄なのです。

どんなに人気のある著名人にもアンチがいたり「私この人好きじゃない~」という人がいたりするのはそういうことです。

彼は、他者の課題に介入する必要はないと考えていました。

確かに、私たちが考えたところで他人の「嫌い」という感情が消えるわけでもないし、その感情の決定権を私たちは持っていないですからね。

だからその課題を背負うことは無駄なのです。

絶対に解決しない問題を考え続けることは、自分の首を自分で締めるようなものでしょう。

 

 

「自分を好きになる勇気」

私は、前述したユダヤ教の教えの”1人”に目が行ってしまうタイプでした。

昔から、嫌なことばかり考えてしまいます。

人に嫌われたら、自分のどこがダメなのか、何が悪いのか、もしやダメなところばかりなのではないか…と考えてしまうと思います。

自己嫌悪に陥りますよね…。

他にも、自分のネガティブな部分にばかり注目してしまう人はいると思います。

ちなみに私は自分のいいところを聞かれると困ります!(笑)

そんな人へ…。

 

もし、ネガティブな感情に押しつぶされてしまいそうになったら、ポジティブな部分を思い出してみてください。

自分の得意なこと、自分のいいところ、自分が「これは誰よりも秀でている!」と思えるところなどなど…。

 

「…あるわけないし」と思った人、同感です。

自分のいいところを自覚するのってとても難しいんですよね。

私も大の苦手です。

しかしそれでも、必ずあります。

どんな人にも、必ずあります。

自分を見つめてみてください。

 

それでも「…いや、ねーから」と思った人。

目を向ける勇気がないだけです。

アドラーは「目的論」を唱えた人物でもあります。

彼に言わせれば、一歩を踏み出したくないからいつまでもネガティブに浸かっているのです。

(ネガティブになってしまっているから一歩を踏み出せないのではないということです。このような考え方は「目的論」に対して「原因論」と言うそうです。)

勇気を持ってください。

殻を破ってください。

思い切って、目を向けてください。

10人のうちの2人を思い浮かべてもいいです。

彼らはきっとこう思っています。

自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?

米津玄師さんの『WOODEN DOLL』という曲の一節です。

この曲を聴いていると、いつもこの歌詞にはっとさせられます。

家族や友達、恋人など、あなたのことを好きでいてくれている人は必ずいます!

自分に自信がなくなってしまったら、彼らを思い出してください。

そして、そんな人たちのことを、どうか忘れないでいてください。

 

 

さいごに

今回は『嫌われる勇気』について書いてみました。

「課題の分離」という考え方から派生していろいろ書いてみましたが、本書には他にもたくさんの考えが詰まっています!

そして、アドラー心理学は「勇気の心理学」と言われているそうです。

読み終わると何だか自分が勇気がみなぎったような気がしました。

背筋がぴんと伸びたような、そんな感じです。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

↑リンクを貼っておきます!

気になった方は是非読んでみてください!

 

また、米津玄師さんの「WOODEN DOLL」はこちらです!


米津玄師 MV「WOODEN DOLL」

自己肯定感爆上がりな楽曲なので、こちらも聴いてみてくださいね!

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!

それではまた!

 

 

 

 

ねこうさ

 

 

Special Thanks

課題に追われてずっと読む時間が無かった私に、長い期間『嫌われる勇気』を貸しっぱなしにしてくれた友人

お久しぶりです!

おはこんにちこんばんは!!

(言ってみたかっただけです)

 

何と最後の記事から2週間近く経ってしまいました。

飽きたわけではありません。

やめたわけでもありません。

 

時間がなかったのです!!

 

 

もくじ

 

 

言い訳タイム

まず、大学の課題が本当に…本当に…多い!!!!!

出しても出しても出てくる課題。

乾く眼。

凝る肩。

次のターンで確実に相手を倒せるのに、きずぐすりを使ってHPを満タンにされた感覚と似ています。

ポケモンはダイヤモンド派です)

 

そして、大学生という身分上就活やインターンのことを考えなければならなくて…

本当に逃げたい。

なんてことは言ってはいけませんね。

拾われなくなります(笑)

 

さらに、心身共に疲弊していました。

(だってこっちはきずぐすり使えねえし…)

個人的に悲しい出来事があったので心はやられ、

食欲無いオバケ(なつばてのすがた)なので1日2食生活…

朝起きるのが苦手なので、朝食を抜くことが多いのもあります。

それなのでめまいがします。

朝食抜くなよという声が聞こえてきますが、食欲がありません。

食欲をください。

健康において心と体は非常に関係していますが、

心がやられたから体がやられたのか、

体がやられたから心がやられたのか、

もはやどちらかはわかりません。

なんかもう疲れたな、ゆっくりしたいな、というのが本音です。

 

 

とりあえず叫ばせて

 

休みてえ!!!!!!!!!!

 

(皆さん「それな」)

…沢山の共感ありがとうございます。

 

 

これからのこと

もちろん書きたいことは着々とたまっています。

奨学金のこと。

学校教育のこと。

ボランティアについてのこと。

最近見た映画のこと①。

最近見た映画のこと②。

最近見たアニメのこと。

言語化したい考えがたくさんあります。

早く書きたい気持ちでいっぱいです!

 

 

さいごに

ということで、近況報告みたいになってしまいました。

気候も変わり始め、体調を崩しやすい時季になってきましたね。

個人的に、夏は冬よりも好きですがすぐバテてしまうのでそこが難点となっております。

皆様もどうぞご自愛くださいませ。

 

そしてこれを読んでくれている大学生の同志よ…!!

課題多すぎオーバーキルだろこの野郎!!

と思っているかもしれませんが、

きあいのはちまきでギリギリをいつも生きてこう!!

一緒に頑張りましょうね!!

 

 

 

 

ねこうさ

 

 

 

 

 

 

 

名前の由来

こんにちは!

早くもブログのネタに困ってしまったねこうさです。

そんなところに「名前の由来はなんですか?」というコメントを頂いたので、

本日はそれについて書いていこうと思います!!

 

 

もくじ

 

 

 

「気まぐれな」

ねこうさは本当に…気まぐれなんです!

昨日嫌だと思ったことが、明日になって「やっぱりいいかも!」と思うこともしばしば。

よく気が変わるので、観ていたはずのアニメを最後まで観終えないことがあります。

ちなみに現在は、CLANNADスラムダンクが途中になっています。

決してつまらないというわけではありません。ほんとです!!

泣けるアニメもスポ根も大好きです。

ただ、なぜだかわかりませんが、

 

ス―――――――――…っと

 

生活から消えているのです…。

CLANNADは人生」と言う権利が与えられない話数で止まっていますし、わたしの桜木花道はバスケ部に入部しドリブルを覚えている最中です。

もう一度言いますが、決してつまらなかったわけではありません。

そのためネタバレ厳禁です!!!

いつか必ず観ますからね!

そんなわたしが、夢中になって最終話まで一気に駆け抜けたアニメはHUNTER×HUNTERです。

今まで一番心をグッとつかまれたアニメなので、この話もいつかできたらいいですね!

 

 

「ねこうさぎ

わたしが「気まぐれ」という言葉で連想したのは「ねこ」でした。

(…猫より犬派です。でも、王道ですが、マンチカンは本当にかわいいです。)

つまり、わたしの名前において、「ねこ」は「気まぐれ」からきています。

 

そして、「うさぎ」です。

まず、単純にうさぎが好きです。

 

まんまるふわふわフォルム。

ながいみみ。

もそもそたべるくち。

ぴょん。

 

可愛い。

 

そして、「うさぎ」は寂しがりやなイメージがあります。

本当かどうかは分かりませんが、うさぎは寂しすぎると死んでしまうと聞いたことがあります。

実は、「気まぐれなねこうさぎ」という名前を思いついたのは、5,6年前です。

当時は自分が寂しがりという自覚があり、それで名前に組み込んだのだと思います。

名前が完成した当時は、なんてオリジナリティがあふれる名前なんだと思い「何かの名前でつかってやろう!」と意気込んでいました。

しかし、いざ検索してみると「ねこうさぎ」はめちゃくちゃ引っ掛かりました。

「ねこ」と「うさぎ」が合体した名前なんて画期的だ!と思っていた自分はバカでした。

あちゃ~。

今現在もわたしが寂しがりか否かという質問は恥ずかしいのでなしにしましょう!

 

 

「気まぐれなねこうさぎ。」の完成!

名前を思いついたのは5,6年前のはずなのに、いまだに「ねこうさぎ」がどんな生物なのか想像もつかないし、もちろん絵にも描けません。

自分で生み出しといて、ずっと気になっています。

あと、最後の「。」はあってもなくてもいいと思っています(笑)

お好みでどうぞ。

そして、ねこうさぎ界隈は自分が思っているよりもずっと飽和していたので、なんだか頑張りたい気持ちになりました。

…ブログを頑張るというのはおかしいですね。

こういうのは書きたいときに伸び伸び書くものだと思っているので!!

ゆったりやっていこうと思っているので、これからもどうぞねこうさをよろしくお願いいたします。

今回は1405文字でした!

 

 

ねこうさ

 

 

 

 

 

追記

ブログの名前を変更しました!

しかし!

ピンときたタイトルではないのでまたいつか変更します(断定)!!

ではまた会いましょう(^^)

 

 

【映画感想】『恋は雨上がりのように』を観て

こんにちは。

昨日はあまり寝れなかったので、久しぶりに映画でも…と思い、小松菜奈さん・大泉洋さん主演の『恋は雨上がりのように』を観ました。

さっそく、思ったことや感じたことを文章にしていきたいと思います。

しかし!!

ネタバレしてしまう可能性があるので、これから観ようと思っている人とはさようならですね…

ごめんなさい!!

 

以下もくじです(目次の付け方を覚えました㊗)。

 

もくじ

 

 

 

「ただ雨が止むのを待っているだけじゃつまらないでしょう?」

 人は熱中しているものを突然失ったとき、どうするのでしょう。

好きなものがなくなったら。

目標に向かって努力することさえも許されなくなったら。

叶えたい夢が絶対叶わないと知ったら。

すぐに前を向き進もうとする人、代わりの何かを探そうとする人、様々いると思います。

わたしなら、意気消沈すると思います。

心が消えて、沈んだようになるのです。

それでも時間は流れています。

鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という言葉は有名ですよね。

確かに今はつらいかもしれないけれど、いつか必ず笑える日々がくる。

そんなメッセージがこのセリフに込められています。

ちなみにこのセリフは、怪我をして思うように走れなくなってしまうことがわかったあきら(小松菜奈さん)に対して、彼女がふらっと立ち寄ったファミレスで頼んでもいないコーヒーを差し出しながら言う店長(大泉洋さん)の言葉です。

こんなことがさらっと言えるファミレス店長なんてそれは好きになってしまいますね…!

 

 

努力はいつか報われる?

しかし、本当に雨が止むかなんてわからないだろう、と思う方もいると思います。

わたしも以前はそう考えていたと思います。

ただの綺麗事だと。

加えて、話は逸れますが、「努力はいつか報われる」という言葉も嫌いでした。

努力がすべて報われるのなら、誰も苦労なんてしませんよね。

これは、努力は報われるわけねえよと思っている人に一度聞いてほしいのですが…

 

わたしは、この言葉に「どこかで」が抜けていると思っています。

 

少し話をさせてください。

わたくしねこうさが高校三年生の時は、受験勉強真っただ中でした。

親に迷惑をかけたくなくて、比較的学費の安い国立大学を目指していたのですが、高校生活でまじめに勉強をしなかった分を一年弱で取り返せるわけもなく見事に失敗。

大して知名度もない、私立の学校に通うことになりました。

初めは、「心機一転!頑張ろう!!!」と思えていましたが、だんだんそこに通うことが嫌になりました。

日本は結局学歴社会だろうと思っていたので(わたし自身はそんなことは思っていません)、なぜこんなところに通わなければならないのだろう、と思うようになったのです。

この結果じゃ、勉強をしてもしなくても同じだったのではないか。

なぜさして名前も知られていない大学に自分がいるのか。

自分の実力はこんなもんだったのか。

勉強したって、なんの意味もなかった。

こんな気持ちに加えて、学校に行きたくない、休みたいという気持ちが頭の中でぐるぐるしました。

ある日、授業のレポートを書くために、大学の友達と2人で科学博物館に行くことになりました。

そこでは、もともと博物館が好きだということ、気の知れた友達と一緒だったこともあり、わたしは自分の持っていた知識を話す場面が多くありました。

その中にはもちろん、高校で習ったことだって含まれていました(molの話などをしたような気がします)。

彼女はそれに対して、「そういうことか!」といって納得してくれました。

誰しも、人に対して教えることをしたことがあると思いますが、相手が理解してくれるのはうれしいものですよね。

博物館ってやっぱり最高!大好き!(熱いラブコール)と感じながら、ふとした時にスマホを見てみると、その友達がSNSを更新していました。

内容を見てみると、そこには「ねこうさといるから知的なところも楽しい」とありました。

博物館で分からなかったところは、ねこうさが助言してくれたおかげで理解できたから、楽しかった!

そのような意味なのかなと思いました。

わたしはその時、はじめて受験生の時期が報われたと思いました。

わたしが頑張っていたことは無駄ではなかった。

なぜなら、現にこうして、わたしが頑張っていた時期に身につけた知識のおかげで楽しいと言ってくれた人がいるから。

もしかしたらそういう意味ではないかもしれないし、別の意味も含まれているかもしれませんが、そう思うことができたのです。

うぬぼれだとしたら恥ずかしい話ですけど(笑)

 

話は戻りますが、確かに努力は報われないことがあると思います。

例えば、日本の高校生のサッカー部員全員が全国一を目指して毎日一生懸命練習したって、冬に頂に辿り着けるのはたった一校ですよね。

しかし、わたしの体験談のように思ってもいないところで突然報われる時が来るのだと思います。

優勝を逃したサッカー部員は、そのスキルを使って好きなサッカーに携わる仕事ができるかもしれません。

また別の人は、笑顔が見れるので、息子にサッカーを教えるときが生活の中で一番楽しい時間だと思っているかもしれません。

だから、「どこかで」が抜けているのです。

たとえ目標が達成されなかったからと言って、今までやってきたことすべてが無駄だと思わないでください。

本当に、いつか、どこかで、やっててよかったなあと思えると思います。

大学合格のためだけだった努力は、思わぬところで報われました。

悲しい気持ち、悔しい気持ち、やりきれない気持ち、苦しい気持ち。

そんな気持ちになったときも、必ず終わりがきます。

雨は、止みます。

わたしの心を簡単に晴らしてくれた友達に、感謝を伝えたいです。

 

とても脱線してしまいましたね!!

 

 

人は鏡であるということ

あきらが店長に好意を持っていたため、ファミレス以外でも交流が多くなったあきらと店長は、お互いにあきらめてしまった夢をもう一度追いかけることになります(突然映画の内容に触れましたが、ここまで長くなってしまったので詳しい説明は省きます。細かいことが気になる方は是非観てみてくださいね!)。

あきらは店長とデートすることを通して、自分を見つめていきます。

本当に自分がやりたいことは何なのか。自分が好きなことは何か。

母親に陸上の一式を捨ててと頼んでいたあきらですが、図書館では陸上の記録写真集を手に取ってしまうほど、気持ちが陸上に向いていたのです。

店長はそんなあきらを見て、諦めをつけてやめていたはずなのに小説を書き始めます(最後のシーンでは、店長がその小説を出版社に持って行ったことも明かされています!)。

こうして二人は、お互いの姿を見て自分に重ね合わせるのです。

 

この二人を見ていて、人は誰かの鏡なのではないかと思いました。

「人の振り見て我が振り直せ」ではないですが、相手を見つめることで自分を見つめることができているように見えました。

人と話していると、「自分なら~するのに」と考えたことはありませんか?

○○さんはそう言っているけど、わたしなら、□□と思うから、△△するなあ…

○○さんが言っていることは同感!わたしも□□と思うから、△△したい!

このようにして、相手を通して自分のことを考える場面はたくさんあると思います。

この時、この□と△の部分が大事なのでは?と思いました。

行動とその根拠が明確な人は、いつも堂々としているように見えます。

しかし、行動しない人、行動しても根拠があいまいな人、誰かが言っていたからそう行動するという人は、頼りないなと感じたり、何かあっても任せられないなと感じたりすると思います。

わたしが個人的にうらやましいなと思う人のうちに、行動力のある人、がいます。

わたしも、起こした行動とその行動の根拠をはきはきと人に話せるくらいの人になりたいものです。

それでも、人は周囲に感化されることもあると思いますから(わたしも影響を受けやすいタイプです)、そういう意味でも人間関係の質は大切ですね。

質、というとひどい言い方だと思う方もいるかもしれませんが、わたしの語彙力が乏しいものですので、どうかニュアンスだけでも伝わっていてほしいです…。

お互いに切磋琢磨できる関係や刺激しあえる関係、励ましあえる関係は素敵です。

○○が頑張っているから私も頑張る!と思える友人や恋人、家族。

そんな関係は質がよいと思います。

あきらと店長はそういう関係になっていったのではないでしょうか。

逆に、場合にもよりますが、光を反射しないような壊れた鏡をいつまでも近くにおいておく必要はないと思います。

しかし、反面教師という言葉もありますから、敢えて取っておくのも一つの手ですね。

 

さいごに

本当はもっと感じたことがあったし、書きたいこともあったのですが、実はここまで4000字近くあるので、ここまでにしておきます。

ブログで4000字は当たり前なのでしょうか…

また、もちろんですがこの映画は恋愛要素も含んでいます!!わーい!!

恋愛映画が好きな人、普通の恋愛じゃ満足できなくなった人(年の差!)、将来に悩んでいる人、追いたい夢がある人、そんな人に特に観てほしいです!

ちなみにわたしはAmazon primeで見ました!

他の動画配信サービスでも見ることができるのではないでしょうか!

 

こちらは予告編です!

気になった方は一度ご覧ください!

www.youtube.com

 

それではまた!

 

 

ねこうさ

 

 

わたしがブログを始めた理由

 

こんにちは!

気まぐれなねこうさぎ。と申します。

関東在住の女子大生です。

大学ではオンラインの授業が始まって、さっそく肩が凝りました。

加えて最近暑くなってきて、24時間アイスを食べたくなる毎日です。

 

 

わたしと本

突然ですが、わたしは幼稚園生の時よく本を読む子でした。

これは親から聞いた話ですが、わたしはかなり早い段階で本を読み聞かせる必要がなくなったそうです。

なぜなら、一人で読みはじめたから…(笑)

本好きは小学校に入学しても健在で、晴れていれば友達と公園で遊んだものの、雨が降れば行く場所は決まって地域の図書館でした。

児童書はもちろん(今突然『ひみつシリーズ』が思い浮かびました)、好きな作家さんのエッセイ、占いの本、ライトノベル、たまに頑張って文学…本当にたくさんの本を借りて読んでいたと思います。

やがて、視力が落ちました。

原因として「本の読みすぎ」が挙げられました。

 

 

「作家の時間」

そんな本好き少女が好きだった時間は、「作家の時間」です。

小学5年生の時の授業だったと思います。(今思うと「作家の時間」はどの科目に相当するのかは分かりません)。

「作家の時間」では、作家になったつもりで文章を書いて皆に発表します。

お話を書く子がほとんどでしたが、エッセイ、詩、ノンフィクションなど、ジャンルは自由でした。

また、出版(?)の日は一か月に一回ほどのスパンであり、その日に出しても出さなくてもよいという決まりでした。

先生に提出された作品は一冊の本になり(月刊って感じですね…!)、みんなで読んでメッセージやコメントを送りあいました。

誰もがのびのびとしていて、楽しそうに鉛筆を動かしている、そんな時間でした。

「作家の時間」がなぜ好きだったのかというと、今までやったことのなかった「お話を書く」という作業がとても新鮮だったからだと思います。

本が好きでよく読んでいたけれど、「お話を書く」という行為はとても遠い存在にあるとどこかで思っていたのかもしれません。

読んでいる本の著者は、友達でも家族でもありませんから。

そして、読んでくれる人がいるという嬉しさもきっとあったのでしょう。

小学生ねこうさは、時間外執筆も喜んでしていたので、お話を書くノートが何冊にもなりました。

 

 

「表現」すること

わたしは、最近将来についてよく考えます。

なぜなら、社会人になるまでのタイムリミット(この言い方だとあたかも社会人になることが嫌だという風に聞こえてしまいますね)が迫っているからです。

頭の中にはやりたいことがたくさんあるし、やりたくないこともたくさんあります。

今のところ、やってみたい!と思ったことには大抵チャレンジできているわたしですが、憧れを持っているにも関わらずまだできていないことがあります。

 

それは、「表現」することです。

 

表現の仕方は様々です。

芸能的なことが多くを占めると思いますが、わたしはこれにいまだ挑戦できていません。

ただ、憧れはずっと持ち続けてきました。

そして、「表現」することは人を動かします。

ギターを持って歌っている友達のバンドがライブハウスを熱くさせている。

ダンス部の友達が高校の文化祭で体育館をにぎわせている。

画面の向こう側の女優の演技でわたしが涙ぐむ。

こんな場面では、わたしはまず「憧れ」を抱きます。

かっこいい!!やってみたい!!と思います。

憧れてしまうのは、あのとき「作家の時間」で表現することの楽しさを学んでしまったからでしょうか。

わたしは文章を書くことが好きだからブログでもやってみよう!

ときどき書いた文章を好きと言ってくれる人もいるし!

ようやく実行に向けて動き出せた、という感じです。

何だか今やらないと、本当に渇いてしまう気がしました。

 

 

ねこうさぶろぐへようこそ!

こうしてわたしはブログを始めることにしました

日々感じたこと、思ったこと、考えたことを言葉にしたいと思います。

本や映画、音楽の感想もかけたらいいな。

まずはブログの書きかたを勉強したいものです。

これからどうぞよろしくお願いしますね。

 

ねこうさ