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母を見てまだ酔っている
それもまたありがたいと思うべきだ
わたしをみてくれよ
ずっとみてくれよ
それでいい
それでいいから
今からつける火を
松明に放り投げるような
そんな火であってくれ
どうせなら
どかんと
いこう
死にたくとも死ねないぼくらについて
ありがとう
今更何にありがとうというのだろう
いつまでもわからない
四拍子の曲を無理やり三拍子になおすような
そんな感じで
いつまでもバスドラは鳴っている
今まさに絶望ときぼうの狭間
思うように指が動かない
そもそもきぼうってなんだろう?
答えのない問いが追い続ける
おまえらのやってることはしょうもない
かわいそう いつまでも永遠に
おまえらのやってることはしょうもない
かわいそう 墓も建てられやしない
死にたくとも死ねないぼくらについて
ぼくもぼくらのなかさ
来世でまた会おう
来世でまた会おう
死にたくとも死ねないぼくらについて
ぼくもおわりにしたいのさ
来世でまた会おう
歯茎を見せてくれよな
あなたは
そこで曲がれと言いました
あなたは
そこで止まれと言いました
このまま
スリップしたら大事になってありがとう
報われないぼくを
このまま
眩しいひかりのなかでさよならを
雨が降っていたのさ
雨が降っていたのさ
もう手も足も動かないとして
何をいまさら残せるだろう
もう心臓の音がきこえないとして
何をいまさら残せるだろう
血が怖いと言いました
それとももっと怖いことがあったとして
首をはねられました
それとももっと怖いことがあったとして
あめがふっていました
さよならの一言さえあれば
あなたはもっともっと羽ばたいていける
さよなら
もっともっときみの羽で
近づかないで
目を見開いて
ずっと ずっと
ずっと
向こうがわへ
そう、これは現実逃避
子どものころ、鬼ごっこをするときはなぜか逃げる役を嫌がっていたけど、今、好き好んで逃げている。
昨日仕方なく頑張って追いかけていたからだろうか。
だから今日は逃げたいとか、そんな簡単な問題だったらいいと思うけど、たぶん違う。
なんか朝起きてまず逃げたいなあと思う。
そのあと、逃げるもんか!むしろ追っかけてやるよ!となるか、ああ逃げたいなあ…と思って逃げるか、その二択(今日はこのように逃げた)。
毎朝逃げたくなるのは誰のせいかと思ったけど、まあ違いなく自分のせいだろう。
と、わかっているけど、子どもであるかのように人のせいにしたい。おまえのせいだ。
「世」は鬼役のように追っかけてくる感覚ではない。
なんかいる。そこにいる。やば。逃げた方がよさそう。
恥ずかしながら、ああするべき、こうするべきって言われている感じも前からする。
情けないなと思う。
人間なのに、自分自身が能動的であるとは思えない。
あの頃は転んだって痛くなかったし、痛くても痛くないと意地を張れたけど、今はまるでできない。
本当に痛いし、泣くときもある。
立ち上がって大丈夫だよと言えたことがどれだけ難しいことだったのか、わかっていなかった。
その幼さが羨ましい。
そう思うと、全体的に見て、人生を進めるうえで余計なことの方が多くインプットされてる気がする。
…こうしてまた、イヤなことばかり目について、良かったことは気が付かないし、気がついても忘れている。
あ~あ。
せっかくの現実逃避なのに、また逃げたくなっている。
わからないことはわからないままで
現実的にも、寒く冷たい季節になり、なぜが文章が書きたくなってこのアカウントの存在を思い出した。
毎日いったい何をしているんだろう、と思う。
眠れない、起きられない、起きたところで一般的な報酬である金どころか何も生み出さないまま、ただ飯を食い、夜になったら寝ようとする。2週間に一回病院へ行く。
非生産的なルーティンはまるで知らない海を漂流しているかのようで、この身でただ浮かび、仰いでいる空はなぜかいつも曇っている(まあ、知っている海などない)。
「救いの手」という言葉があるが、それは差し伸べられるものなのか、こちらがむりやり掴みに行かなければならないのか、わからない。能動的な姿勢は評価されるものであるが、評価する人間がいてもいなくともわたしはまだ下を向いているし、背を背けている。
むしろもう開き直りたい。ああ、現実逃避をしている!私は、結局この状態を好んでいて、可哀想と思われる自分自身にどこかやさしい同情をしている!
そんなことしたら、ただでさえ少ない友達が減る。
なぜ文章を書きたいと思ったのかも、よくわからない。
1週間前くらいから何となく思っていたが、実行が遅れた理由もよくわからないし、そもそも何を書きたいのかもよくわからない。
相変わらずわからないことだらけで嫌になる。
でも生きる意味がわからないと言うのは何となくやめた気がする。わかったから、というわけではない。何となくやめただけでやはり時々それについて考えるが、キャパシティーオーバーとか考えに答えが出ないとかで涙が出る。考えている時間が本当につらいのだと思う。第一、楽しく考える時間の方が少ない気もするが。
生きる意味なんて、人間が他の動物よりも頭が良いせいで考えているだけだと思うし、人間以外の動物が生きる意味を考えているとはあまり思えない。
考えてしまうのが人間なんだろう。
わからないことに対して、考え、考えても答えが出ず、わからない。終着点が「わからない」である(答えがなかったり人それぞれになったりする問い)ならただの無駄な遠回りだ。
だとすると、わからないことだらけなのは苦しいものなのだろう。
だから、たまには「まあやってみるか」的な、「Don't think, Feel.」的な、そんな姿勢でもいいんだろう。わたしにはそれが足りない。多分余計なことまで考えている。
人間は思考のくせがつくと聞く。ネガティブなことを考えていると、どんな思考もネガティブになってしまうらしい。そういう癖がつくらしい。おそらくわたしにはその癖がある。
逆にやってみたらわかることもあるかもしれないし。
ただ、無駄な遠回りに関して、貶すようなことはしたくない。
いつだってあるがままで、自分を受け入れようとしたい。
今いったん文章を読み返したが、ほんと回りくどい言い方をする奴だな、と思った。
そんな奴はこれを書いて少し満足したようで、1時間でこの満足感が得られるのなら定期的にやってもいいかもと思ったようだ。
しかし、いつも気分が落ちた時にこういうのを書き始めるような気がするのに、文章の結末的部分がなんとなく明るく終わるのが腑に落ちないようだ。
(今日は早起きできた。
どんな小さなものでも、できたことに自分で称賛を送れる人間になりたい。)
小説を書く友人に憧れて
気づけば何か厚手のものを羽織らないと外出できなくなって、自販機のあったか~い缶のコーンスープがおいしい季節になった。
知り合いに会ったら一瞬困るくらいのどうでもいい服に特価で買ったアウターを着たあと、5周年を迎えたスニーカーで家を出る。
あてはないまま歩を進める。
思えば今朝のお天気お姉さんが「今日は前年と比べ暖かいでしょう」と言っていた気がする。
それなのになぜか、芯から、さむい。
冷たい風が吹く。
あの人は僕のスマホの中で笑っていた。
見たことない男と、見たことない笑顔で、屈託なく笑っていた。
スマホの画面はこんなにも小さいのに、僕からすればそこがたった一つの世界なんだ。
あなたがいればどんなところも世界になる。
そんな世界はもはや二次元になってしまって、手を伸ばしても届くことはない。
幻にいいねなんて押せるわけもなかったんだ。
なんでだろう。と声に出さずにつぶやいたら、温かい感触が左頬で一本の縦線を描いた。
今日があたたかいなんて、嘘だろう。
世界に取り残された僕は、空を仰いだ。
曇天。
深夜に酒を飲んでこんなものを書いてみたら後日どんな感情になるのか気になって書きました。
笑ってください。
【読書感想】『嫌われる勇気』を読んで
こんにちは。
米津玄師さんのサブスク解禁がめちゃくちゃうれしかったねこうさです!
(ちなみに先日発売された『STRAY SHEEP』では『カナリヤ』という曲が好きです!)
大学の課題も落ち着き、自分自身も休めた気がするので今日からまたぼちぼち書いていこうと思います…!
今回はかなり前に話題になった岸見一郎さん、古賀史健さんの『嫌われる勇気』を読んだので、それについて考えたことや感じたことを文書にしていこうと思います。
従ってネタバレの可能性あり!!
…ねこうさの記事はネタバレしがちですね。
すみません。
アドラーの考え方をどうしても『嫌われる勇気』で知りたい!と思っている人はさようならです。
ではいきましょう!!
もくじ
そもそもあなたは「嫌われる勇気」を持っているか
持っていない、と答える人がほとんどではないでしょうか。
なぜなら、人に嫌われてうれしいと思う人はいない気がするからです。
かくいう私も持ち合わせていません。
むしろ私は人からどう思われているか気になってしまいます。
できれば好かれたいです。
他にも、褒められたい、認められたいと思ったことがある人もいると思います。
しかし本書にはこうありました。
アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
『嫌われる勇気』は、心理学では超有名なアドラーの考え方を軸にして哲人と青年が対話をする形式で書かれています。
アドラーは他者からの承認を求めることを強く否定したのです。
他者の期待を満たすことは幸福にはつながらない。
他者から認められようとして生きることは自分の人生を生きていないことだと考えたそうです。
例えば、親の「○○を習いなさい」だとか「○○という学校に入りなさい」という言葉に素直に従っていたら自分のやりたいことはできませんよね。
そこで、他者にとらわれないように彼が提唱したのは「課題の分離」という考え方です。
「課題の分離」とは
「これは誰の課題なのか」という問いを常に持ち続ける、ということです。
ユダヤ教の教えには、「10人いるとしたら1人はあなたのことが嫌いで、2人はあなたのことが好き。残りの7人は何とも思ってない」というものがあるそうです。
人から嫌われたり暴言を吐かれたりすることに対して、気持ちいいと思う人はいないと思います。
きっと、嫌な思いをして、人によっては思い詰めてしまうかもしれません。
しかし、アドラーの考えに基づけばそんな思いをする必要はさらさらありません。
なぜなら、人を嫌う行為は他者の課題だからです。
嫌うか嫌わないかはその人自身が決めることであり、その他の人間がどう言おうと無駄なのです。
どんなに人気のある著名人にもアンチがいたり「私この人好きじゃない~」という人がいたりするのはそういうことです。
彼は、他者の課題に介入する必要はないと考えていました。
確かに、私たちが考えたところで他人の「嫌い」という感情が消えるわけでもないし、その感情の決定権を私たちは持っていないですからね。
だからその課題を背負うことは無駄なのです。
絶対に解決しない問題を考え続けることは、自分の首を自分で締めるようなものでしょう。
「自分を好きになる勇気」
私は、前述したユダヤ教の教えの”1人”に目が行ってしまうタイプでした。
昔から、嫌なことばかり考えてしまいます。
人に嫌われたら、自分のどこがダメなのか、何が悪いのか、もしやダメなところばかりなのではないか…と考えてしまうと思います。
自己嫌悪に陥りますよね…。
他にも、自分のネガティブな部分にばかり注目してしまう人はいると思います。
ちなみに私は自分のいいところを聞かれると困ります!(笑)
そんな人へ…。
もし、ネガティブな感情に押しつぶされてしまいそうになったら、ポジティブな部分を思い出してみてください。
自分の得意なこと、自分のいいところ、自分が「これは誰よりも秀でている!」と思えるところなどなど…。
「…あるわけないし」と思った人、同感です。
自分のいいところを自覚するのってとても難しいんですよね。
私も大の苦手です。
しかしそれでも、必ずあります。
どんな人にも、必ずあります。
自分を見つめてみてください。
それでも「…いや、ねーから」と思った人。
目を向ける勇気がないだけです。
アドラーは「目的論」を唱えた人物でもあります。
彼に言わせれば、一歩を踏み出したくないからいつまでもネガティブに浸かっているのです。
(ネガティブになってしまっているから一歩を踏み出せないのではないということです。このような考え方は「目的論」に対して「原因論」と言うそうです。)
勇気を持ってください。
殻を破ってください。
思い切って、目を向けてください。
10人のうちの2人を思い浮かべてもいいです。
彼らはきっとこう思っています。
自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?
米津玄師さんの『WOODEN DOLL』という曲の一節です。
この曲を聴いていると、いつもこの歌詞にはっとさせられます。
家族や友達、恋人など、あなたのことを好きでいてくれている人は必ずいます!
自分に自信がなくなってしまったら、彼らを思い出してください。
そして、そんな人たちのことを、どうか忘れないでいてください。
さいごに
今回は『嫌われる勇気』について書いてみました。
「課題の分離」という考え方から派生していろいろ書いてみましたが、本書には他にもたくさんの考えが詰まっています!
そして、アドラー心理学は「勇気の心理学」と言われているそうです。
読み終わると何だか自分が勇気がみなぎったような気がしました。
背筋がぴんと伸びたような、そんな感じです。
↑リンクを貼っておきます!
気になった方は是非読んでみてください!
また、米津玄師さんの「WOODEN DOLL」はこちらです!
自己肯定感爆上がりな楽曲なので、こちらも聴いてみてくださいね!
ここまで読んでくださりありがとうございました!
それではまた!
ねこうさ
Special Thanks
課題に追われてずっと読む時間が無かった私に、長い期間『嫌われる勇気』を貸しっぱなしにしてくれた友人
お久しぶりです!
おはこんにちこんばんは!!
(言ってみたかっただけです)
何と最後の記事から2週間近く経ってしまいました。
飽きたわけではありません。
やめたわけでもありません。
時間がなかったのです!!
もくじ
言い訳タイム
まず、大学の課題が本当に…本当に…多い!!!!!
出しても出しても出てくる課題。
乾く眼。
凝る肩。
次のターンで確実に相手を倒せるのに、きずぐすりを使ってHPを満タンにされた感覚と似ています。
(ポケモンはダイヤモンド派です)
そして、大学生という身分上就活やインターンのことを考えなければならなくて…
本当に逃げたい。
なんてことは言ってはいけませんね。
拾われなくなります(笑)
さらに、心身共に疲弊していました。
(だってこっちはきずぐすり使えねえし…)
個人的に悲しい出来事があったので心はやられ、
食欲無いオバケ(なつばてのすがた)なので1日2食生活…
朝起きるのが苦手なので、朝食を抜くことが多いのもあります。
それなのでめまいがします。
朝食抜くなよという声が聞こえてきますが、食欲がありません。
食欲をください。
健康において心と体は非常に関係していますが、
心がやられたから体がやられたのか、
体がやられたから心がやられたのか、
もはやどちらかはわかりません。
なんかもう疲れたな、ゆっくりしたいな、というのが本音です。
とりあえず叫ばせて
休みてえ!!!!!!!!!!
(皆さん「それな」)
…沢山の共感ありがとうございます。
これからのこと
もちろん書きたいことは着々とたまっています。
奨学金のこと。
学校教育のこと。
ボランティアについてのこと。
最近見た映画のこと①。
最近見た映画のこと②。
最近見たアニメのこと。
言語化したい考えがたくさんあります。
早く書きたい気持ちでいっぱいです!
さいごに
ということで、近況報告みたいになってしまいました。
気候も変わり始め、体調を崩しやすい時季になってきましたね。
個人的に、夏は冬よりも好きですがすぐバテてしまうのでそこが難点となっております。
皆様もどうぞご自愛くださいませ。
そしてこれを読んでくれている大学生の同志よ…!!
課題多すぎオーバーキルだろこの野郎!!
と思っているかもしれませんが、
きあいのはちまきでギリギリをいつも生きてこう!!
一緒に頑張りましょうね!!
ねこうさ
